コウベガタリ - 神戸語り -

『~神戸っ子て?~』

2009年11月23日

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(再度山 ビーナスビレッジにて)

 

1868年、横浜、長崎、函館、から遅れるところ九年、神戸は開港した。 港から蒸気船の乗って来た大勢の欧米の人たちで溢れかえった。瞬く間に、いままで見た事も無い物が街にあふれ、聞いたことの無い音に包まれ、食べた事の無い食べ物の匂いが漂った。 当時の神戸っ子は、まさに「文明開化」、「日本近代化」、を目の当たりにしてきたに違いない。新設された外国人居留地は「文明開化の窓口」となり、「極東のモデル居留地」として「日本の中の外国」と言う神戸の街のあり方を決定ずけた。 横浜など先に開港した街に十年近く遅れて開港したので、「日本最初」では、ホテル、レストラン、アイスクリーム、クリーニング、電信、ビール、などのものは横浜に先行された。しかし結果的に十年近く遅れた事が幸いしたと考える。先に開港した街には、中国や東南アジアで荒稼ぎしてきたブローカーてき商人が住民とのトラブルが絶えなかったし、日本ではアヘン等は売れないのを知ると悪徳商人の多くがこの間に立ち去っていた事が大きかった。そして日本開国後十年も経てば、日本をちゃんと理解し日本人との共存共栄を望む良質の外国人が多く集まり、そして増え続けた。だから「神戸最初」は、映画、ゴルフ、コーヒー店、の様に生活環境や娯楽、趣味、と言った異国文化の発祥地だと考えらえる。 居留地のグランドでは、サッカー、ラグビー、テニス、ベースボール、などを楽しんでいる。それを、神戸っ子が見よう見真似でやり始める。日本の近代スポーツの大半が神戸で生まれ、広がった。六甲山にはグルームが日本最初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」を開いた。 食文化もそうである、神戸っ子がパンや洋菓子の製法をいち早くマスターして市民の口に入るようになったし、洋食のソースも日本人の舌に合う和風味のものが発明された。 酒の一升瓶も灘の酒造家が、居留地の道端に捨てられていたビール、ワインの空き瓶の山を見て、酒も瓶詰めにすれば販売も運搬も好都合と思いつき、拾い集めた空瓶を今で言うリサイクル利用したら大成功した。 当時の神戸っ子の気質が今もこの街を支えてくれていると思う。

 

神戸の街を山から久しぶりに見たら当然であるが海がすぐそこにある。 神戸っ子がよく言う「神戸は山も海もすぐ近くにあって住みやすい所。」これが自慢である。 たしかに、横浜をはじめ他の港街とは少し違う様な気がするが、神戸に生まれ育った人を、「神戸っ子」と表するのは少し違うと思う。 よく観光でこの街を訪れた人に聞くと、「西欧風で、モダンで、センスが良く、おしゃれな街。」と返ってくる。 でも、本当にその言葉が当てはまるのは、開港からほぼ世界全域から集まった異国の人々と狭いエリアで共に生活し、内外人問わず、「よそ者」にも解放的で、新し物好きで、あらゆる分野での創作工夫、が大好きな人の事を、「神戸っ子」だと言いたい。

 

自分がもしも開港の時代に生まれていれば、やっぱり、異国の文化を日本的にアレンジして、一山当ることを考えるであろう。そして、異国の人の真似をして、おしゃれに着飾って、心地の良い音楽をバックにお酒を飲み美味しい世界の料理を楽しむ事を真剣に夢みたであろう。しかし、こう言う人を神戸っ子と本当に呼ぶのだろうか? ともあれ、先人の神戸っ子のおかげで、一山当てる事以外は、そこそこ夢が叶っているのも不思議な話である。 結局、神戸の魅力に魅了された者が本当の「神戸っ子」かもしれない。

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