コウベガタリ - 神戸語り -

『~「フランスには石油は無いけど、アイディアがある。」~』

2011年2月 8日

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(パリにて)

ボンマリアージュのお客様には、本当に勝手をして申し訳なかったが、やはりパリに行くことが出来て良かった。昨年から神戸に持ち帰っている、宿題の答えを探しにパリの街を時間を忘れて歩き回ってきた。 歩いているだけでやはりこの街からパワーを貰う事が出来た。

 

 渡航する前から今回は経験したことの無いパリを見てみたいと「神戸語り」で書いた、高級レストランや高級ブティック、ナイトショー・・・など、柄にも無く華麗な空間を体験することが出来た。そこには、最高のサービスがあった。 高級レストランのギャルソンは言葉もおぼつかない私に言葉の壁が無いかのごとく最高の時間を演出してくれたし、高級ブティックのスタッフは服を一着選ぶのにスタイリストのごとく次々と着飾らされてくれ、服を選でいた三時間の時間を数分の出来事の様に時間を忘れさせてくれた。 しかし、これは、「高級」と表されるお店に限った事ではなく、カジアルなお店や朝市で出会ったお店の人達も同様で最高のサービスを提供してくれた。 いろんな店が有りそれに見合ったサービスが有りそれからさまざまな価値の商品が有るだけだと再認識させてもらった。

 

私がパリで泊まる所をいつも貸して頂いているアパートメントのリビングの本棚に置かれている本を酒を片手に乱読みしていると、昔のコマーシャルのコピーで、「フランスには石油は無いけれど、アイディアがある。」と興味深い一説に出会った。これは、「フランスにはもともと何も無かったけれど、いろんな知恵で世界一の国づくりをしている。」と言うことである。 フランス人は決して妥協しない、自分の考え、価値観を持っていて、決して卑下しない。 それに比べ日本人は自分の価値観、考え方をあまり表現しない傾向にある、それを子供のころから良しと言う教育を受けてきた。 世界基準の現代には、おごそかで控えめだけでは、いかがなものかと思ってしまう。

 

「お金が無い。」とは、単なるいまの状態を表しているのであって、決して才能が無いのではない。でも、日本でその話を聞くと(言ってしまうと)、「あの人はもうダメだ!あの人と係わらない方がよいぞ!」と取られてしまう。私も、いままではそうであったと思う、これは、自分自身の才能を信じて生きる事の難しさ、人の事が気になって仕方が無い心の狭さではないか。 人は人、自分は自分そして、共に共有出来ている時間を大事に思う、心の大きさが大事とこの旅が教えてくれた。

 

サービスの大事さをもう一度考え直した方がよい。旅行者がわが街に立ち寄ってくれた時に、「神戸で出会った店の人達は、なんて素晴らしいサービスを提供しているのか!是非また、このサービスを受けながら「神戸時間」を過ごしたい!」と思っていただける様にしなくてはと私ももう一度考えてみる。

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『~今までに行った事の無い「パリ」を見てきます!~』

2011年1月27日

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昨年の4月以来のパリ渡航が決まった、いつもなら「パリ時間」の続きを楽しむと決め込んで出かけるのだが、昨年のパリからの宿題の答えを見つけに今回は初心に帰って「パリ感覚」を感じようと思い「パリ散歩」を主な目的にしている。 行きなれた場所だけでは無く、今まで行った事の無い所を歩いて今まで毛嫌いしていた、高級レストランやナイトショーなど、いままで経験した事の無い「お上りさん観光」もする予定にしている。

 

昼間はカジュアルに「パリ散歩」をして、夜にはジャケットを羽織ってパリの街を闊歩して裏町から華麗なるパリの匂いを少しでも感じればと考えている。私を知る人は柄にも無いと笑われるかもしれないが、今だからそう言う旅をと考える。 神戸を一旅行者として訪れるなら、カジュアルからアダルト、昼の観光&ショッピングから大人のナイトライフと世界の観光都市では当たり前の充実したアーバンリゾートが必ず必要になると思うからである。

 

今年に入って、香港、パリと立て続けに旅に出るが、なけなしの財布の紐を緩めてでも今は経験しなくてはいけないと思っている。ボンアリアージュのお客様に申し訳ないがいま少し時間をいただけたらと願っている。また帰国した際には、「神戸語り」で報告したいと思っているので楽しみにしていて欲しい。

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『~「神戸大空襲」、「1月17日」、どちらも寒い日でした!~』

2011年1月17日

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あの運命をかえた朝から今日で16年がたってしまった。今朝にも負けくらい寒い朝だった。 1月17日早朝、阪神淡路に強い揺れの地震が起こり大勢の人が死傷にあい、街は壊滅的は被害にあった。私自身も、二軒の家が倒壊して家族を連れて公園で避難した。その日の出来事は今でも鮮明に覚えている。

私達の大先輩の「神戸っ子」のおじいちゃんやおばあちゃんは、「神戸大空襲」の日の出来事を次世代の「神戸っ子」たちに伝え聞かせてくれた。奇しくも「神戸大空襲」の日も「1月17日」に似た寒い日であったと先輩の「神戸っ子」から伝えられ覚えている。

これから何年、何十年・・・と経とうと傷跡は消えない、あの日この街神戸で何が起きたのかを、私達が次の「神戸っ子」達に伝えていかなければと思う。

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『~いろんな出来事を知らない世代達が、次世代の力~』

2011年1月12日

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(なつかしの神戸より)

最近よく、俗に言う「バブル時代」の話をよく聞かれる。1980年代後半に全国民が狂気乱舞した時代、昔の歌じゃないが「バブルを知らない子供たち」が成人し社会に出て会社で若手から中堅クラスの仕事を担う様になってきているが、その人達の中には生まれてこの方景気の良い時代を知らなく、それこそ「好景気を知らないで育った子供たち」と言うわけである。そんな彼らに「景気がどうしたら良くなるか考えてみろ」と言う方が問題があるのではないか。

今まで経験した事の無い問題を考えろと言うのはとかく無理な話で、これは、逆にバブルもしくは高景気の時代に自分では気が付いていないうちに生きていた幸運を今の世代の人に昔話を自慢げに聞かせているようで失笑してしまう。

私は今の時代は別に「不景気」だとは思わない。誤解しては困るが、ボンマリアージュだけが忙しくしていると言うわけでは決して無い。「今の景気がこんなもんで、横ばい状態が続いている」と考えるのが妥当ではないか。だだ、その横ばい状態の中に上がり下がりがあり、一昔も二昔も前の世代が言う昔話をイメージする方が問題である。これから、日本全体が浮上するような事はまず考えられない、ごく一部の会社や個人だけが好景気の階段を上って行くだろう。

わが街神戸の運命の転換期はやはり「1.17」であろう。あの朝の一瞬の出来事ですべてが変わってしまった。あの時まだ日本が不景気ブームになる前で、神戸だけが壊滅状態に成ってこれからどうしたら良いのか、どう生活を立て直したら良いのか分からずに肩を落としたのを私も覚えている。これに似た状況が、日本全体に広がっていて、これからの仕事や生活を考えたら・・・。と落胆している人が多いが、「1・17」から現在まで神戸っ子は誰もが前を向いて歩いて歩き続けている。いま食べるの物が無い状態から始めて立派に生活を立て直している方もいるはずで、逆にあの日のダメージでなかなか立ち上がれない方もいるはずである。

神戸っ子の経済的な建て直し挑戦はあの震災の日から続いていて、今の日本の不況ブームなど笑って言ってやれば良い、「あの日の朝に比べれば大した事ないよ!」、「言っている事が分からないなら、君は「神戸っ子」じゃないんだね!」、「だって、君は震災を知らない子供達だから。」

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『~世界中から観光に訪れる都市「香港」~』

2011年1月 6日

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(香港にて)

新春そうそうに強行日程ではあるが1泊3日で渡航してきた。 二年ぶりの訪問であったが、やはり強烈なパワーを感じた。 昨年は上海を見たがやはりアジア経済の中心は「上海ではなく香港だと思う。」 上海のパワーの根源は「貧困からの脱出」言い換えると「可能性への挑戦」だと感じる。「上海に出て一旗挙げてやる!」、「自分が生き残るには手段を選ばない」、「いまならこの商売で一山当てることが出来る」と言った感じのパワーであると考える。言い換えると、「上海」はその地域に住んでいる人達の生活向上を主としたビジネス、そのビジネスに付随して集まってくる人達のお金が主である。それを、基点に中国全土に手を伸ばす。これを「内需」と呼ぶ。

しかし香港は、イギリスの統治時代が長かったせいもあるが、香港そのものが小さな一国家のようなものである。香港は中央銀行を持たずに大手4銀行が、お金(香港ドル)をコントロールしていて、まるで完成された資本主義の代表の様に思える。なぜならば、香港に世界中の人達が観光に訪れ世界中のお金が集まる、道を歩けば両替所があり銀行が軒を連ねている。単に観光客がこの街に落としていくお金が、この街で商売している人達の財布に一度収まり、またその人達が消費していき、その間に銀行がその業務を助けている。まさしくこれが、「都市は消費しないと価値がない!」の代表であり理想である。前にも書いたが、景気とはお金の流れである。健康な身体は血液が身体中に流れていきわたっているこれを「景気が良い」と言い、不健康な身体は血液が流れにくく成ってしまっていることであるこれを「不景気」と呼ぶ。

わが街神戸に目を移すと、香港と土地柄はにている(山と海が近く歴史がある)が、でも両者は天と地ほどの差がある。なぜ世界中の人達が観光に訪れるのか、是非、見てみたい風景があるとか、歴史遺産があるとか、そこに行かないと買えない物があるとか・・・・。色々な要因はあるが、いまわが街神戸がもっとも世界的に有名なのは「神戸ビーフ」と「地震災害」だけである。香港に比べてかなり寂しい気がするが、「地震から世界でもっとも速く復興した都市」これも事実である。街が綺麗に整備されたぶん、文化的価値や歴史的価値が失われてしまった。確かに街は復興した様に見えるが、世界の人達が訪れたい都市に成る為には、新しい文化を発信して、時間がそれを「歴史」と言う言い方に変えれる事が出来れば、香港に負けない観光都市に成れるかもしれない。

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『~今年はまず、「香港」から神戸を見て来ます!~』

2011年1月 3日

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(なつかしの神戸より)

2011年もそろそろ始動し始めた、今年の始動にあたり私はまず香港に行こうと思う。約二年ぶりの香港渡航であるが別に美食家を気取ってレストランめぐりをするのではなく、その昔から東洋のニューヨークと位置づけされた都市を肌で感じてくるのが目的である。1997年に中国に返還されるまで、イギリスの植民地として155歴史を刻んできたのはご存知の事でしょう。 いま世界で最も活気がある都市は「上海」と答える人が多いと思うが、でも間違いなく「香港」も中国の一都市なのである。中国の経済の動向は日本のみならず世界が注目している昨今、中国の景気減速不安や人民元の切り上げ・・・。など「対岸の火事」と楽観的に考えている人はいないと思う。

 

現在、中国には、「一国家二通貨」と変則的な独自の通貨政策がとられれている。人民元と香港ドルとの関係をも一度おさらいしなくてはと考え渡航してくる。2011年世界の中心は間違いなく「アジア」であると考えて間違いないだろう。そう「アジアから世界へ」である。

 

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『~2011年は行動あるのみ!~』

2011年1月 2日

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(ビーナスブリッジにて)

 

2011年、あけましておめでとう。 昨年(2010年)の年始に感じた、「とうとう、あけてしまった・・・」と言う不安な気持ちはまったく無い。 今年一年でどれだけの成果を出す事が出きるか? 当然いろんな事に挑戦するであろうが、全戦全勝しないといけないなんて事など心配しなくても良い、勝率をどれだけをキープ出来るかでは無く、どれだけ多くの案件に係われるか、その案件の大小ではなくいかに自分が真剣に相手の事、係わった大勢の人達と真剣に付き合う事が出来るかが大事だと思う。そう今年は、結果をださなくてはいけない年になるはずである。 それも、プロジェクトの成功ではなく、自分と係わっている人との、人間関係を再構築して、本物とフェイクを見分け、本当に生涯の友(戦友)を築く年であると考える。

 

昨年は、自分が本当にしたいことを見つけて、それで生涯を生き抜く覚悟を考える年だった。今年は昨年の熱い思いを「実行」する年に成ると思う。 勿論、成功を遂げたら良いのだが、失敗するのも良いと考える。失敗を恐れて立ち止まってアクションを起こさない方が危険である。「実行」、「行動」・・・。言葉の言い回しは何でも良い、ただ自分を信じて行動するだけである、言葉も理屈も何も必要ない。ただし、他人の行動を真似たり、他人と肩を組んで「一緒に何かする。」などではまったく意味が無いと考える。 なぜなら、自分の熱い思い(プラン)を他人に話していること自体問題であるし、自分一人で出来ない事は、結局、何も出来ない事に成ってしまわないか。それを自分が認めたくないから言い訳が始まる、「お金があればこの計画を実現して成功するのだが、なにぶん資金が無い。」と言う人がいる、滑稽である、そこには熱い思いを一生涯掛けてやり遂げると言う事から外れているではないか。それならはっきり「お金儲けがしたいけれど、自分では何も出来ない!」と泣き叫んだ方がよほど可能性がある。なぜなら「、可哀そうだな!何か助けてあげようか?」と既得な方が哀れんでくれるかも知れないではないか。

 

やはり、昨年(2010年)から流れが続いていはずだ。2010年に「何をしたいか」、「何をするために生まれて来たのか」、「何をどうしたいのか・・・・」に結論が出てない人は、そこからもう一度考えて欲しい!年度が替わったら、自分も変われると本気で思っているのなら、それはかなり楽観的である。時代が動いている今こそ、自分自身が問われるはずである。

「自分の友達でこんな凄い人がいるだよ!彼(彼女)は凄いから仲良くしてたら良いよ!」と自慢顔で話しているそこのあなた、その話が自分が能無しと言っている様なものですよ!人が凄かっても自分にはまったく関係が無い事で、本当に大事なのは自分自信がどうあるかですよ。 今年の「神戸語り」はこんな感じで始めていきますのでよろしく。

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『~2010年を振り返れば、神戸に「パリ時間」のまま・・・。~』

2010年12月30日

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(神戸港にて)

まず始めに長い間、「神戸語り」を書かなくて申し訳ない!振り返れば4月にパリに渡航して以来に成ってしまったが別にサボって書かなかった訳では決してなく、本当に書けなかった、書くことが出来なかったのが真実である。「神戸語り」を楽しみにしていて下さった方から、お叱りの言葉を多数お寄せ頂き申し訳なかった。

 

2010年も残すところ数時間になってしまったが思い出して頂きたい、今年の始め~「向こう十年を位置づける年に成ると思う。」~「今年の生き方しだいで、将来が見えて来る者とそうで無い者に分かれてしまう。」~と書いた事が奇しくも当ってしまった。昨年(2009年)の途中から、「これから裕福な暮らしを過ごせる人と、そうでない人の差が激しくなり俗に言う中間層が無くなる。」と皆が言ったではないか。今年(2010年)を生き抜くために「神戸語り」は、なぜ「不景気」になるのか、「宗教」とは何か、「会社」とは何か、・・・・などを思いつくまま書いてきた。4月の「パリ時間」から帰国後、パリの街から授かった宿題の難しさに気づき、「考え」、「迷い」、立ち止まってしまった。私自身「人生のキー」に成るであろうこの年を、どう生き抜くのかを日々真剣に考え過ごしたつもりであるが、上手くいったかどうかは分からないが、今こうして年の瀬に再び「神戸語り」を書ける事が出来ているのなら、如何にか2010年を乗り切ったのではないかと考える。

 

私は、幸運であるとつくづく思う。ボンマリアージュのカウンターの中で事の重大さに驚き立ち止まっている私を導いてくださったのは他ならぬ「ボンマリアージュのお客様」であったからである。ボンマリアージュに集まってくださった方々の「考え」、「実行力」、「構想」・・・を見せていただき、ようやく自分自身が「何処に」、「如何して」、「何がしたいのか」・・・を思い出す事が出来た。 それは、誰もが幼い頃に思い描いた~「夢」~であったと私は思い出す事が出来た。「今年の生き方しだいで向こう十年を:::」とは、「いかに、夢を見続けてそれをいかに、現実の物にするかを真剣に考えて生き続けるかを、もう一度自分に問う時間。」と私は結論づける。

 

今年の「ボンマリアージュ」はあたかもパリのカフェであったかの様に思える。4月のパリ渡航は、私自身が気が着かないまま~神戸に「パリ時間」のまま帰って来てしまったのが原因である。いつの日か日々暮らしている街に~「神戸時間」~なる物が出来ればと願う。

 

2011年も皆様にとって飛躍の年でありますように、心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

 

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『~来る時代を迎えるための準備をパリの地で充電して来ました!~』

2010年4月 8日

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(マスター パリにて)

 

4月3日から8日まで、勝手ながらボンマリアージュをお休みしてしまい申し訳なかった。 突然に私のなかで、パリの空気を味わいたい衝動に駆られて、飛行機に飛び乗ってしまった。 この前に訪れた時間の続きを懐かしく思う暇もなく、私たち夫婦はパリ時間を満喫してきた。 以前も書いたが、私が始めてパリに訪れた時に感じた、なんとも言えないパリの重苦しく感じた空気感とは真逆に、ある意味澄んだ匂いがした。 「ルイブログ」にも書いたが、空港に降り立った時に偶然にも虹が我々の到着を祝ってくれた。

 

何回この街を訪れたか、もう数える事も忘れたが、やはりパリが私達夫婦の原点と考えている以上、これから始まる向こう数十年の準備を整えなくてはならないこの年にパリの空気に触れたのは幸いであり、また準備がある程度整った証明であると考える。 渡航中に感じた様々な語りは順に聞いて頂く事にしたい。差し当たり、無事の帰国報告としたい。

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『~「マグロ問題」って何?~』

2010年3月18日

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(旧「神戸移住センター」)

 

最近ニュースで「マグロ」についての捕獲問題が派手に踊っている。 マグロ問題はひょっとしたら捕鯨問題のような複雑な交際問題に成りかねないので、少しだけ「マグロ」について語ってみる。

 

そもそもマグロを食べるのは日本人ぐらいだった。 その頃は、日本の消費量が世界の消費量にほぼ等しかった。 しかし、健康志向や、BSE問題の影響で欧米での牛肉離れ、中国人の消費増大などにより世界のマグロ需要が急増している。 世界のマグロ漁獲量は国別に見ると、台湾、日本、メキシコ、スペインと続く。 そのうち漁獲量の三分の一を消費しているのが「日本」である。

 

以前は国産マグロだけで国内需要をまかなえていたが、オイルショックの影響で、マグロ漁船の倒産が相次いだ事や、マグロ消費量の増加、安い外国産の流入により、輸入量が増加した。 すでに国内供給量の50%以上が輸入に頼っている。 日本以外の国の人々がマグロの美味しさを知った事により、諸外国とのマグロ争奪戦において、日本が競り落とせない「買い負け」が増えてきている事や、燃料高による国内船の廃業や操業見合わせで国内漁獲量が減少したことも拍車をかけている。

 

資源の枯渇が心配されるマグロだが、日本ではおもに5種類が食卓に上る。 スズキ目サバ科のマグロの中でも最高級とされる「本マグロ」といわれるクロマグロ。 それに次いで高値で取引されるのが、「ミナミマグロ(インドマグロ)」である。どちらもトロ身が多く取れる事から日本人には人気が高い。 黄色がかった体色が特徴の「キハダ」や大きい目が特徴の「メバチ」も、スーパーなどで刺身として人気がある。それと、「ビンチョウマグロ」はおもにツナ缶の材料として世界中で消費されている。 ひなみに、「カジキマグロ」は、サバ科マグロ属ではなく、カジキ科に属している。

 

資源枯渇が心配されているなかで、「養殖」と表示されているマグロは、実はその多くが完全な養殖ではなく「蓄養」と言う方法で供給された物である。 「蓄養」とは、天然マグロを生け簀で育て、脂を乗せたうえで売り出す方法である。 最近では稚魚から蓄養するケースが増えている。 スペイン、マルタ、イタリア、トルコ、など地中海沿岸のEU諸国ではクロマグロ、オーストラリアではミナミマグロの蓄養が盛んで、その大半が日本への輸出されている。

 

この蓄養は、マグロ資源の減少を補う方法にも思えるが、様々な問題がある。 たとえば、蓄養マグロの体重を1㎏増やすのには、イワシなどのエサが10~20㎏も必要になある。 そのために大量のイワシを獲ることによる生態系バランスや、本来、地中海には生息しないイワシを持ち込むことによる悪影響が懸念されている。このように、マグロ資源の現状に対して、大量にマグロを消費している世界一のマグロ消費国の日本に厳しい目が向けられている。 

 

私もマグロは好物の一つであるが、別にマグロを食べなければ生きて行けないとは思わない。 しかし、日本人は確かにマグロが好物であることは間違いない。 しかし、本来のこの手の話は複雑な流通経済の話だと私は考える。 ある商品の価格を維持・吊り上げを考えるなら、貴重な価値をイメージさせ、商品をいろんな人(会社)の間でキャツチボールさせれば自然に価値は上がる。 蓄養するには、イワシが必要になるから本来手軽に口に入るはずのイワシも同様に高価な魚に変身してしまう。 どちらにしても、魚、穀物、肉、原油、鉱物、・・・と生きるうえで絶対に必要とされている、着・食・住には、誰かの経済感で値段が決まってしまうのは、今も昔も変わらない気がする。 ちなみに、マグロ嫌いの方には関係ないように思えるが、マグロ問題はエネルギー問題のシュミレーションに思えるのは私の思い過ごしであって欲しいものだ。

 

* 07年1月に、5つのマグロ資源管理機関が「神戸」で初めての合同会議を開いている。

 

 

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