2009年12月 5日
(パリ在住 フローリストFUMIKO MOTOBAYASHI ルーブルから)
パリを訪れるたびに襲われる時間の感覚はいったいなんなのだろう。 ひとたびパリの石畳を踏むと、パリから離れ日本にいた期間がどれほど長くても、この前にパリを訪れ、そして帰国して止まってしまった時間が無かったかのように、体内時計の針がまた動きだすような感じがある。そのパリでの時間は、以前に何回かパリに滞在したすべての時間の続きになっているように感じる。
こうした時間の感覚は、私が他の外国の都市を知らないだけで、もしかするとパリに限ったものでは無いかもしれない。たとえば他の都市に行って滞在時間が長くなると、パリに感じるような感覚を他の都市でも感じるかもしれない。でも同じ外国の都市を何度か訪れたけれど、あのパリの濃密な時間に入りこむような感覚はない。 やはりパリには「パリ時間」が流れているとしかいいようがない。私以外にもこの「パリ時間」に気がついている人がいるに違いない。
私は時間とお金が許す時にパリに行く。エッフェル塔や凱旋門といった記念建造物であれ、カフェやパン屋が普通にある街角の風景を、どんな素人カメラマンが撮っても、パリが背景ならそれだけで充分に絵になる。それは、パリの街並みには歴史の重みや人の生きた証があると感じる。小説や絵画で見た事がある街並みに、なぜか懐かしさを感じさせてくれるのが心地良い原因かもしれない。 今回のルーブルの写真は、パリに長い間すんでいる友人から無理を言って送ってもらった。私がパリ好きになったきっかけは彼女のおかげである、もしも彼女がパリに住んで居なかったら、もしかしたら私はパリに行くことが無かったかもしれないからだ。 彼女にお願いして、またパリの写真を送ってもらう事をお願いした。またその写真を通して神戸同様にパリについても「語って」みたいと思う。 本当は自分でパリに行って写真を写して来るのが一番良いのだが、時間は許してくれるがお金が許してくれない・・・。
(ボンマリのホームページのリンクに 「Fumiko Motobyshi」が彼女のページですので、ぜひ覗いてみてください。)
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