2009年12月 4日
(ブラッスリー ボンマリアージュ店内)
パン、チーズ、ワイン。これが日本人の「ご飯、漬物、味噌汁」に相当するフランス人の「食」の三位一体に当たることは、どんな人でも知っている。しかしながら、この三位一体が日常的に民衆の口に入るようになったのは十九世紀末だったという事実は、あまり知られていない。とくに、パンについては、フランス人はバゲットやブールなどのフランスパンを昔から食べている物と思い込んでいる人がほとんどである。しかし、考えてみれば、日本人も、民衆が白米を毎日口に出来るようになったのは昭和三〇年代の高度成長期以降のあとであり、それ以前は、「貧乏人は麦を食え。」と言われていて、「銀シャリ」と言う言葉が存在したように、よほど裕福な家庭でない限り、三度のご飯に白米を食べることが出来なかった時代があったのと同様に、フランスでも、フランスパンを食べれないフランス人がいても不思議ではない。
フランスパン。現在、私たちが呼んでいる白パンのほとんどは小麦粉、より正確に言えば良質の強力粉から作られるが、十九世紀以前には、農業大国のフランスにおいても、良質の強力粉が少なかったばかりか、小麦自体の収穫量が少なかったため、民衆層は、小麦粉の白パンではなく、ライ麦やトウモロコシやそば粉などの混ぜ物をした色の黒パンで我慢していた。言いかえれば、小麦の収穫量が全人口に白パンを供給するにはとうてい足りない状況が何世紀もの間続いたのである。 一部の富裕階級だけが、白パン、チーズ、ワインを食卓に並べる生活を送っていた。 いったん凶作が起きると、白パンを求める民衆の声は、暴動、革命へと容易につながった。
一八七〇年にオランダのハンセンが人工的に酵母を作る方法を発明した。酵母のほかに人工培養法の発明により、誰でも、より正確に,よりふっくらとパンを膨らませることが出来るようになった。もちろん、パン種の値段も下がり、それにつれてパンの原価も安くなったのは言うまでない。それと、この頃から、大西洋定期航路の開拓と保護貿易の緩和で、アメリカ、カナダ、アルゼンチンなどから大量の小麦が格安の値段で輸入さらるようになり、民衆も白パンを十九世紀末には日常的に白パンを口に出来るようになったのである。
わたしも、毎日とはいかないが、割合にパンを食べるほうだと思う。パンには「バケット」と「ブレッド」があるが私の好みは、「バケット」である。外側がパリパリで内側がフックラした食感がたまらない。 以前、「ボンマリアージュ」でも、バケットを焼いていた頃があったが、とりわけ手間がかかり、大変でした。 美味しい物にありつくには、やはり相当の手間がかけないといけないと思つた。 でも最近、「ホームベーカリー」てな機械が家庭で大人気で、家で簡単にパンが焼けるとか、私の家にも一台あつて毎日パンを作っているが。「バケット」をリクエストすると、やっぱり困るようだ、「ここまでは、ボクが作るから、後は自分の手で作っていってね。」て言ってるように見える。 やっぱり、美味しいバケットを頂くには、丁寧に、時間をかけて、作っている「パン屋」さんに買いに行くのが一番良いと思う。 本当に、大変な手間がかかっているので、自分で一から作ってみたら、お値段が、しょうしよう高目なのも納得しますよ。
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