2009年12月 3日
(「なつかしの神戸」より)
やがて鉱山の発掘技術が発達してくると、金や銀などの貴金属がお金として使われるようになります。 これも貴重性に基づいたお金です。金属には、お金として非常に優れた性質がありました。それは、品質があまり劣化せずに、分割が割りと容易に出来るという性質があった。品質が劣化せず、長い時間経っても価値が変わらないので、お金に「価値の貯蔵手段」と言う機能が加わります。ただ、このころは金属そのものがお金として使われたので、取引のたびに重さを量ったり、純度を調べたりする必要がありました。
そこで次に出来たお金が鋳造硬貨(ちゅうぞう)いわゆるコインです。 これは重量や純度が一定であるとお墨付きを得たものです。しかし、誰でも勝手にお墨付きを与えられるわけでもなく、貴族や王国の権力者に通貨発行権が集中することになります。ここで、重量や純度が一定であるために、お金に「価値の尺度」という機能が加わります。それと、お金の総量。「どれだけ貴金属が発見され、どれだけコインを製造し、誰にどれだけ分配するか。」を決める権限を、通貨発行権を持つ国王などが持つことになり、お金に「支配の道具」と言う機能も追加されます。
中世のヨーロッパでは、税金として金属を少し削っり取ったり、他の金属を混ぜ合わし新たに刻印をして新しいコインを造りをまかされていたのが、金細工師です。当時の金細工師は保管料をもらって、お金持ちから金貨を預かっていた。ふだん金貨は金細工師の金庫に預けていて、何か取引があった場合は金細工師の預かり証を渡して決済する方法である。そうしたら、金貨を盗まれる心配もないし沢山の金貨を発行する必要も無くなる。
こうして、金貨の保管所の預かり証がお金の役割を持つ事をなり、「紙幣」が誕生しました。 ところが、みんなが預かり証で決済するようになると、金細工師の金庫の金貨は眠ったままになります。そのことに気がついた金細工師は、この金貨を裏付けとしてお金に困っている人に紙幣を貸し付け、その利子を取るというビジネスを思いつたのです。 この金細工師たちの手法が、近代的「銀行制度」の始まりなのです。
私が子供の頃、父に連れられてよく銀行に行っていた。 銀行に行けばいつぱいお金があると、私は子供の頃本当に思ってた。 ある日、父と母が「お金が無いからどうしょう。」と話しているのを聞いて、幼い私は「お金が無いなら銀行に行けば、いっぱい有るよ。」とマジに答えたそうである。 その様子が、ドラマのワンシーンなら、爆笑していたに違いない。 でも銀行のシステムは、より多くの人からお金を預けてもらい、その銀行間のお客さん同士にお金のやり取りをさせて、資金繰りに苦しい人に預かっているお金を貸し出し利子を貰う、なんてすばらしい方法なのか、大人に成ったいまでも関心する。子供の頃の私が抱いていた銀行の印象は、結構当たっていたと思う。ただ、銀行にあるお金は誰の物か分からないが。
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