コウベガタリ - 神戸語り -

『~JAZZは全世界へ~』

2009年12月 8日

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(ハーバーランド にて)

 

フランス人と黒人の混血をクレオール(Creole)と呼ぶことはすでにお話しましたが、彼らは普通の黒人とは逆に、奴隷制度が廃止されたおかげで、有産階級の地位を失って、人種差別を受けるようになった。 そのクレオールが演奏するジャズをクレオール・ジャズ(Creole Jazz)とよばれました。 やがて、黒人のジャズと融合してひとつのジャズに姿を変えるのですが、アメリカに連れてこられた黒人たちは過酷な労働を強いられた。過酷な労働による苦しみを歌にし、故郷のアフリカを思ってドラム缶を叩き、そのリズムに合わせて踊り、歌った。

 

黒人たちが取り上げた曲は賛美歌、マーチ、労働歌、ヨーロッパの民謡だった。 演奏する楽器もドラム缶、バスタブベース(ブリキのたらいにモップを枝柱にして弦を張ったもの)、丸太をくりぬいた打楽器などで始められたと言われている。 こうしてニューオリンズで自然発生的に生まれたジャズは、当初「ダンスのための音楽」であった。 そんな黒人たちの奏でるリズムを中心にしたダンス音楽を心地よく感じた白人たちは、それを自分たちの商業音楽として取り入れるようになった。

 

時代と共に黒人たちの生活も向上してゆき、音楽の基礎を学んだプレイヤーも現れ始め、ハーモニーも充実していきます。白人たちによってアレンジが施され、メロディーに3度や6度の美しいハーモニーをつけたり、ベースがルート音と5度の音をとったり、リズムで曲を盛り上げたり、20世紀に入る頃には現在の形が生まれてきます。 当時、チューバやバンジョーが多用されたのは野外でのパレードの際に演奏されることが多く、現在のベースやピアノの替わりとして使用されていからです。 パレードと言うとお葬式などが代表で、黒人たちは、「死ぬことで初めて自由になれる。」と考えられて、お葬式のパレードは陽気に行なわれたのです。

 

こうしてニューオリンズ周辺で産声をあげた黒人の音楽ジャズを、ニューオリンズ・ジャズと呼ぶようになるのですが、そもそもニューオリズとは、ニュー・オルレアン(New Orlean)の意味なので。オルレアンとは、フランスはパリの南の田舎町のことで、当時の中央銀行が発行する10ドル紙幣にはフランス語で「DIX」と印刷されており、そこからニューオリンズはディキシーランド(Dixieland)とも俗称されるようになり、やがて南部一帯を指してディキシーランドと呼ぶようになったため、ニューオリズ・ジャズはディキシーランド・ジャズと呼ばれている。 やがて、ディキシーランド・ジャズはアメリカだけにとどまらず、ヨーロッパ各地、また日本、アジア、・・・全世界に広まっていった。

 

神戸は「日本のジャズ発祥の地」として知られているが、横浜っ子が聞いたら怒るに違いない。 まあその事は、横浜でも神戸でもどちらでもよいが、ジャズが生まれるにあたっての話はどうでもよくない。 アフリカから無理やり労働力として連れてこられた人たちの心の叫びから生まれた「ジャズ」にどこか哀愁を感じるのはその起源にあるのかもしれない。 英語はもちろん、日本語もあぶない私には、歌詞の意味もまったく解らないが、賛美歌にも似た歌を聴くと、なぜか悲しくなるのは私だけではないと思う。

 

(大正12年 バイオリニスト、井田一郎氏が、日本人最初のディキシー・ジャズバンド「ラッフィング・スターズ」を結成して、最初に演奏したのが神戸であったため、ジャズ発祥の地が神戸と呼ばれている。)

 

 

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