コウベガタリ - 神戸語り -

『~買い物は身近な経済活動~』

2009年12月10日

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(なつかしの神戸 より)

 

「金は天下の回り物」と言う言葉があります。 お金は世の中をグルグル回っている。 お金は、人の手から手へ渡り歩いているうちに、たまたま、自分のところにやって来る。そのお金で家賃を払ったり、生活用品を買ったり、洋服を買ったりしてお金を使っている。 当然、誰もが同じ事をおこなっている。 しかし、反対に誰もがお金を使わなかったらどうなるかを考えたい。

 

今は商品の値段が下がっているから、欲しくてもすぐ買わないで、もっと値段が下がるのを待つ。 先行きが不安だから節約する。 こうした行動は、個人個人にとっては非常に合理的です。もっと安く売っている店があるかもしれない、もう少し日が経ったら安くなるかもしれないと思えば、すぐに買わないのは当然です。 このようにお金を使わないことは、個人個人にとっては当然の行動です。しかし、みんなが買い物を控えるようになると、困った事がおきます。

 

買い物を控えると、売る側は、なんとか商品を買ってもらえるように、値段を下げはじめ、商品を製造・販売している会社は利益が減ります。 利益が減った分、社員の給料を減らすでしょう。給料が減ったら、ますます物を買い控えるようになります。 それが、めぐりめぐって自分が関係している会社の経営状態も悪くなる事に成ったら。給料が減ったり、退職に追い込まれるかもしれません。 経済用語では、この事を、「合成の誤謬(ごびゅう)」といいます。個人にとっては合理的でも、みんなが同じ事をすると、結果的にみんなにとって都合の悪い事になってしまうと言う事です。

 

買い物をして支払ったお金はどうなるか、想像した事がありますか。 支払ったお金は、商品に関係した人たち全員に分配されて行きます。 たとえば洋服を一着買えば、その代金は、店員、メーカー、メーカーの下請け、そのまた下請け・・・・・・、と多くの人たちに分けられていきます。 その人たちも、そうして得られた給料で買い物をし、支払った代金が、また別の人たちに分配されていきます。 あなたが買い物をする事で、結果として、世の中の人たちの生活を支えて行く事になるのです。 お金を支払う、受け取ると言う事の繰り返しによって経済は回っています。

 

今は不景気だから・・・。 不景気と言うと、悪いイメージばかり広がっているが、一概にそうではない。 確かに、物が簡単に売れない状況は、企業にとって大変厳しいものですが、逆に言えば、それだけ企業同士の競争が激しくなり、「売れる物」を作るために努力するように成り、その競争に勝ち抜いて生き延びるのは、本当に消費者の欲しい良い物を提供出来る企業だけになる。 激しい競争を生き延びた会社がさらに頑張ることで、ものが再び売れるようになり、景気がくなります。 

 

消費者が鋭い目で厳しいチョイスが、ダメな企業を追い出し、本当に良い企業を育てて行く事を、「経済における投票行動」と言う。 政治の世界は、有権者の支持を受けた人が当選し、そうでない人は落選します。経済の世界でも同じです。 だから、人気ブランド品には、創業何百年と言うものもあり、常に企業努力して信頼を築き、幾度とあった不景気に消費者から選ばれて生き延びて来た。結果、「ブランド」として確立した。 だだ、「みんながこのブランドを買っているから私も・・・。」と言う動機では「清き一票」が無駄に成る。 自分が良いと思って「買い物」をしている行動はブランドを育てているのと同じである。 ブランドを創って行くのは、一人一人の「清き一票」である。 ブランドは消費者が創って行くものである。

 

私は最近、年齢のせいかあまり物欲があまりない、絶対にこれが欲しいと思わなくなった。 若い頃は、それこそ欲しい物だらけであったのに。 そのおかげで、本当に良い物がだんだん分かるように成ってきたと思う。 本当に自分に必要な良い品物だけを求めている。 物欲は無くなってきたが、そのぶん食欲がましてきた。別にお腹いっぱいに食べたい欲ではなく、自分の舌で本当に美味しいと思える食物に一番出会いたい。 以前、「~私はバケット好き~」でも話したが、やっぱり良い物(良質の物)はお値段もそこそこ高いのは仕方ないし、高いのも納得出来る。 まずは、いま自分の生活で何が必要であるかを知り、「買う」と言う行動を今一度、吟味し尽くして買い物をすれば、結局は世の中がもっと健全に循環して、「買う」と言う行動で企業を成長させて行き景気も良く成ると思う。

 

「合成の誤謬」・・・経済で、個人にとっては合理的な行動でも結果的に、みんなにとって都合の悪い事になる事。

 

「経済における投票行動」・・・ある商品を買うことは、その商品を製造・販売している企業に一票を投じるような行動と言う意味。

 

  

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