コウベガタリ - 神戸語り -

『~原始キリスト教~』

2009年12月18日

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( カトリック神戸中央教会 にて)

 

キリスト教の出発点は、ナザレのイエスと言う人物です。 キリスト紀元元年数年前に生まれたイエスは、ガリラヤ地方(パラスチナ北部)の村に住む大工の息子と言われているが、その幼少時代は謎に包まれている。三十歳前後で宣教を開始し、ガリラヤ地方で弟子を集めるようになる。

 

当時のユダヤ人は、ローマ帝国の直接統治の下で、ローマ皇帝に任命された外国の君主に統治下で生きていた。こうした状況のもとで、ローマの支配を多少なりとも容認する人々と、かっての預言者たちの教えを信じて神の介入による解放を待望する人々との間に対立が生まれた。この対立は、 唯一神を信じるユダヤ教徒と、多神教である侵略者ローマやギリシャの宗教を信じる人々との対立によって、ますます根深いものとなっていった。

 

当時の人々の目には、イエスは全く新しいものを差し伸べていた。イエスは自らを神から遣わさらた者としながらも、当時の律法学者たちのように聖書の伝統的解釈によるものではなく、自ら「父」と呼ぶ神の名のもとに、聖書の新しい解釈を提案した。  ユダヤの律法を守るべき一連の厳格な規則としてよりも、神の意思の表現とする事を諭した。したがって、安息日は、人のために定められた。[のであって、] 人が安息日のためにあるのではない。 人生を貫く唯一最高の原理として、神および人に対する深い愛を説いたこと。貧者や病める人や弱者に仕える態度の完全な模範となり、イエスの一生はその事を証明するためにあった。

 

イエスは民衆を熱狂させた。しかし、イエスが神の使者である事を認めようとしないユダヤ教の指導者たちは、イエスへの憎しみをつのらせていった。 宣教開始から二年後、A..D.30年の過越祭に、彼らはイエスを裁判にかけ、ローマ法によって十字架の刑に処しました。 しかし、キリスト教の信仰によれば、二日後イエスは死から蘇り、弟子たちにの前に現れたとされ、「復活」はキリスト教の信仰を測り知れないほど確固たる物にした。

 

断わっておくが、私はキリスト教の信仰者ではない、ぞくに言う「無宗教論者」の部類に属している人間である。 しかし、そんな私が十数年前に始めてイタリアに旅行に行った時に不思議に思った。滞在先の町の一番大きい建物が何処に行っても「教会」であった。また、美術館に行けば、イエスの人生の一場面とか聖書に書かれてある場面をよく見た、と言うより、それしか無かった。恥ずかしい話だが、私はそれまで、「イエス」について何も知らなかった。 クリスマスが「イエス」の誕生日なのは知っているが、彼の教えは何も知らなかった。私なりに調べると「イエス」はスパーマンか、宇宙人か、それとも本当に神の子か、と思ってしまうほど偉大であった。 私と同様に、「私は無宗教である。」と言っている人が多いと思うが、無宗教論者以前に、宗教アレルギーにかかっているのではないか。これからは、世界規模で物事を考える時代であるはずだ。世界の様々な人たちと互いに理解し合い共存共栄を目指すには、やはり「宗教」と「言語」は切り離せない。 せめて、外国語は話せなくても、宗教アレルギーは治して基礎知識だけでも知っておかないと、とうてい世界を相手に勝負するなんて、無理な話ではないか。  

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