2009年12月20日
( 関西ユダヤ教会 [シナゴグ] にて)
ユダヤ人の歴史は、今から四千年近く前にメソポタミアのウルで始まった。メスポタミヤにはセム系の諸民族が住んでいた。 ヘブライ人もその一つで、たびたび移住を繰り返していた。中でもアブラハムを首長とする部族は他のどの部族より長距離を移動し、ウルから遠く離れたカナンの地に定着した。 しかし、アブラハムの子孫は飢餓に見まわれ、麦の大生産地であるエジプトへの移住を余儀なくされたといわれている。
エジプトでのヘブライ人はしだいに奴隷に身を落とし、隷従状態が四世紀も続いた。 エジプト人に差別されて団結心を強めた彼らは、祖先アブラハムの地カナンへの帰還を夢見るようになった。 アブラハムとその子孫であるイサク、ヤコブの物語は、世代から世代へと語りつがれていった。このような伝承を通して、幾世紀もの間に唯一の神への信仰が発展し、確立していった。こうして後に、[一神教]と呼ばれるものが誕生した。
ヘブライ人は、姿も見えず名前も付いていないこの神との間に、[契約]を基本とする新しい関係を築いた。「あなたの子孫にこの地を与える。」と言ってアブラハムを導き、祖国カナンを与えたのは、この神だった。 アブラハムもまた絶対的信頼を持って神に仕えた。 これが、アブラハムと民とその神との最初の契約である。この契約は、アブラハムの子イサク、その子ヤコブ、そして後にはモーセとの間で、再び結び直される事になる。
今もユダヤ教の性である[律法]を人々に与えたモーセはイスラエルの民をエジプトでの隷従生活から救い出し、四十年に及ぶシナイの荒野を越える移住の旅に導き、父祖の地カナン[約束の地]に帰還させたと言われている。 この長い脱出行において、モーゼは人々に[契約の板]を授けます。その十の戒律から成る憲章のような物で、そのほか、日常生活を細かく規定するさざまな戒律が定められていた。こうして神と民との[契約]は更新されたのである。
カナンに到着したイスラエルの民は、繁栄の時代を迎えて、王朝が成立し、ダビデとその子ソロモンと言う有名な王も生まれた。 しかし、人々はしばしば神の存在を忘れ、不正や不品行に走った。 そんな彼らに[契約]を思い出さすため、幾人もの預言者が神から送られたが、やがて試練の時代がやって来る。 ソロモン王が建築した神殿の破壊と[バビロン捕囚]である。 捕囚民としてバビロンに連行されたイスラエルの人々は、契約の箱も神殿も、土地も王も失う中、神のみを頼り、律法を守る事によって生き抜くすべを思い出す。 半世紀後、捕囚から開放された人々は帰国し、神殿(第二神殿)も再建されたが、第二神殿はローマ軍の手で破壊され、135年ユダヤは完全に降伏して、ユダヤ人が世界中に四散してしまう[ディアスポラ(離散)]が始まったのである。
ユダヤ人はキリスト紀元元年頃から、世界各地へと移住を余儀なくされたが、迫害は続き、キリスト教への改宗か、ゲットーへの強制居住かの選択を迫られた。 そして遂には、ロシアでポゴロム(ユダヤ人の大虐殺)にあった人々はアメリカに逃れ、ナチスの迫害に追われた人々は、先祖の地に帰る道を選んだ。 こうして、イスラエル国家が誕生する。 ディアスポラ(離散)のままとどまった人々は、移住先で市民権を獲得する一方で、一致団結して新国家イスラエルを支援し続けている。
現在、イスラエルにはユダヤ人の3分の1近くが住んでいる。 世界最大のユダヤ人人口を抱えのはアメリカである。その大半は、19世紀のポーランドやロシアでのポグロムや、ナチスの迫害を逃れた、東欧出身の[アシュケナージ]と呼ばれるユダヤ人の子孫である。一方、ヨーロッパのユダヤ人は半分以上がロシアに住んでおり、フランスのユダヤ人の大半が、チュニジアやアルジェリアの独立の際に移住してきた[セファラディ]と呼ばれるユダヤ人である。
私の友達のフランス人は、セファレディと呼ばれるチュニジア系ユダヤ人である。パリに行くと決まって朝まで飲みあかすが、決まって土曜の夜から日曜日にかけてである。金曜の夕方から土曜の日没までは、「安息日」で、仕事、照明や火の使用、料理、裁縫、随筆、金銭のやり取り、乗り物の利用を避けるからである。食べ物も、「コシュール(適法なもの)」でなければいけないので、彼らと食事する時は、彼らに料理を作ってもらうか、彼らの行っているレストランに連れて行ってもらうかになる。 日ごろ、「今日は何を食べる?嫌いな物は何?」と言っている日本人には考えられないかもしれない。 私は、パリでは彼らが利用しているスーパーによく買い物に行く、日本では、あまり使わない香辛料や食材が沢山あり、それがまた美味である。ひょっとしたら、私が思っているフランス料理とは、チュニジア料理をパリ風にアレンジした料理かもしれない。
ユダヤ人・・・・ユダヤ教を信仰している人を指すが、イスラエル民族の一員と言う意味もある。 ユダヤ教徒の間では、神の名を口にすることは厳しく戒められている。
コメントする