コウベガタリ - 神戸語り -

『~パリの窓から~』

2009年12月25日

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(パリ在住 フローリスト FUMIKO MOTOBAYASHI  家の窓より)

 

新都市に「グラン・アルシュ(第二凱旋門)」が建ち、ルーブル美術館の中庭に、「ガラスのピラミッド」が登場した。 フランス革命ゆかりのバスティーユ広場に「第二オペラ座」が新設され、1900年建築の鉄道は改装され「オルセー美術館」になった。 歴史の窓から、未来の見える都市へ。 

 

ブランド品の店先の列に並び、三ツ星レストランで「強いお金(円)」の力を発揮してグルメを気取るのも、パリ観光の楽しみではある、都市は消費してこそ存在意味がある。でも、私を含め、そんな日本人が帰国後、無軌道に建築と破壊を繰り返す日本の都市の貧しさに、考えさせられる事が、しばしばある。 

 

その解決の処方箋がパリにあるのなら、見に出かけるしかない。 その気になれば、十二時間でシャルル・ド・ゴール空港へ運んでくれる。 しかし、いつの時代も旅人が活用できる時間は限られている。世界的に有名な観光名所にとどまらず、生きている都市の存在を、パリの人々と、共有しようではないか。 前世紀末、パリには、ベル・エポックと呼ばれる華やかな時代があった。 アール・ヌーボーが都市を彩った時代がある。 百年後、パリは、行き詰まったアメリカの都市に代わって、世界の注目を集め、再び、ベル・エポックの時代を迎えるはずである。 いま、味わおうとする「百年後のベル・エポック」はまさに最新のパリである。

 

パリは小難しい学習の旅ではない。見るもの、聞くもの、すべてが楽しく、過去の栄光に安堵せず現代を生き生きと暮らすパリの人たちに出会う。 パリは未来を視野に入れながらも、先人の築いた蓄積をないがしろにしていない謙虚さに、敬意を抱く。 パリを訪れる旅人に、「大人びた未来都市」での時間は、訪れた人の人生を豊かにする鍵をこの都市が与えてくれるに違いない。

 

私が始めてパリに訪れたとき、空港に降り立った瞬間になんとも言えない重苦しい空気を感じた。「ひょっとしたら、 この旅行は失敗かな。」と思った。 一週間の日程であったが、始めの数日は「早く日本に帰りたい。」とマジで願っていたが、パリの街を何気に歩いていると、どこか懐かしい感覚、匂い、無愛想なパリっ子に、「あなたは何のためにこの街にやって来たの。」と問われているように聴こえてくるのである。 滞在時間が過ぎるに連れて、いつしかパリが単なる旅行ではなく、自分探し、自分を再認識する旅に変わっていった。 帰国日の前の夜に、FUMIKO MOTOBAYASHIの部屋でささやかなパーティをもようしてくれた。当時の彼女は、ニースからパリに上がって来たところで、フランス人の家庭の子供に日本語を教える条件で屋根裏部屋を間借りさせてもらっていた。 彼女は私たち夫婦のために、料理や部屋の飾りつけ(お花とキャンドル)を用意してくれていた。 お酒を飲みながら、今回の旅の感想や彼女の夢などを語りながら、ふっと窓の外を見るとパリの路地裏の風景が見える。 部屋には、使い込まれたカセットテープから流れてくる,「おおたか静流の[花Hana]」を聴いて、なぜか自然に涙が零れ落ちてきた。 

 

その夜の会話のなかで格別に印象があった言葉が「ボン・マリアージュ」である。 そして、彼女の部屋の一面が、なんとも言えない「ブルー」の色が印象的であった、私たち夫婦は神戸で自分達の今回の旅、いいや、彼女と過ごした夜、「パリ」をいつか表現したいと決意して帰国した。 それから、半年後「ブルーの壁」が一箇所だけ塗られた、ブラッスリーが誕生した。もちろん店名は、「ボン・マリアージュ」である。 振り返ると、あの時、パリの彼女の部屋に行く事がなかったら、「ボン・マリアージュ」は誕生してなかったと思う。 でもすでに、半年前のあの夜に、内装も、店名も、決まっていたのは、「パリ」が新しい扉の鍵を渡してくれたからに違いない。

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