コウベガタリ - 神戸語り -

『~バスティーユの天使~』

2010年1月 5日

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(パリ在住 フローリスト FUMIKO MOTOBAYASHI  バスティーユにて)

 

パリ十一区のシンボル。バスティーユの塔の上に、鎖を断ち切っていまにも飛翔しようとする自由の天使像が黄金色に輝いている。 一七八九年のバスティーユ攻撃、一八三〇年の七月革命、一八四八年の二月革命、一八七一年のパリ・コミューン。 フランスが大国から共和国へ生まれ変わるのには、一世紀もの長い時間が必要だった。 戦いのたびに、十一区は市民がバリケードを築き、武器をかき集めて立てこもる、市民戦の舞台であった。

 

十一区は、このバスティーユ広場とナシオン(国家)広場、レピュブリック(共和国)広場に囲まれている、抗議デモなどが行われる時は、いまも必ず、これら三つの広場と、広場と広場を結ぶ大通りが舞台となる。 十一区の記憶に刻まれた、自由、平等、博愛、の精神にあやかっての事である。

 

一八八〇年、七月十四日のバスティーユ攻撃の日が正式にフランス革命記念日として祝われた。 ナシオン広場とバスティーユ広場をゆるやかにうねりながら結ぶのが、フォーブール・サン=タントワーヌ通りで、ここは、王制の時代から、 家具産業で繁栄された場所で名高い。 貧しさと労働を共有する中で育まれた、連帯と博愛の精神。 物づくりの厳しさと、創造力重視の環境から立ち上がる独立の心意気、十一区の石畳に刻まれた、反骨精神は、いまを生きるアーティスト気質と決して無関係ではないだろう。

 

私の友人、FUMIKO MOTOBAYASHIの現在の住まいも、バスティーユ広場を入った所にある。その便利性もあってパリに行くとこの辺りに宿を取る。 日曜日には、私も市民抗議のデモにぶつかる時があるが、夜には静けさを取り戻し、広場の自由の天使を司る塔を見渡せるカフェで酒を飲みながら談笑するのが好きである。ボンマリのお客さんと一緒に旅したおりには、二人でお店の閉店時間まで長話をしながら深酒をした記憶がある。

 

 

 

コメント一覧

雨のバスティーユ
クレイジーホースの帰り。。。
CAFE DE PARIS
ワインにシガー
ガラス越しに夜の広場を眺めながら。

なんとも、、、最高でしたね。

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