コウベガタリ - 神戸語り -

『~自分で考えて間違った方が、楽しい。~』

2010年1月28日

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(なつかしの神戸より)

 

あなたは、「考える力」に自信がありますか? 「考える力」には、二つあります。 ・自分で考える力、・他人のマネをする力。 ほとんどの人が、自分の頭で考えていると思っているが。 そのうちのかなりの人が、他人の考えたことのマネをしているだけである。自分で考えていないのである。

 

自分で考える事が出来ないのは、頭が悪いからでは決してない。 それは、私たちが学校や社会で、自分の頭で考えるトレーニングを受けていないからである。 学校で成績が良かったのは、他人のマネをするのがうまい人だったのである。 これからの時代をどうして生きるかは、自分で考える事が出来るようになり、「他人の考えで正解するより、自分で考えて間違ったほうが、楽しい!」といかに思うかである。

 

無理に勉強しなさいと言われて勉強しても、結局、そんな勉強は身に付かない。好きになれないものを無理にやりなさいと言われても、絶対やる気にはならない。 そんな勉強はどんなに我慢してやっても、身付かない。時間の無駄です。 せっかく貴重な時間をいやいややる勉強で無駄にするなら、さっさとやめて遊びに行った方が良いのではないか、サボって遊びに行った人は、楽しかった記憶が残るはずである。 その、「記憶」が無駄な勉強以上の力に変わるかも知れない。

 

学生時代に勉強を好きになるキッカケと出合った人と、出会わなかった人で大きく分かれる。 一口に「勉強」と言っても、「勉強」には二通りある。 「教育」と「学習」である。 一見似ているように思うが、二つは全然違う。学生時代に学校で「勉強」していた(させられていた。)のは、「教育」である。「教育を受ける」と言うように、受け身の言葉がつながる。 「教育をする」と言うのは、教える側を意味する。それに対し「学習をする」と言えば、「学び」「習う」ですから、自分で自発的にすることであるから、「学習を受ける」とは言わない。 つまり、「教育」は受身であり、「学習」は本能的な行動なのである。

 

人は皆、生まれて来ただけでは、一人前の人間にはなれない。 成長の過程で、いろんな出来事(成功や失敗)や興味(仕事や遊び)や人に出会いながら成人し老いて行きます。 人間は、本質的に、「生まれ変わりたい」と願う動物だと思う。決して、悪く生まれ変わりたいと思う人はいないはずです。 「今より、もっとよく生まれ変わりたい」と言う欲望が、向上心なのではないか。 

 

では、どうしたら、生まれ変わる事が出来るのか。 それは、「学習」であると思う。 「学習」は、「ああ、なるほど!」と感動を感じながら、今までの自分のカラを打ち破って行くことです。 「今まで自分はこんな風に思っていたが、確かに違う考え方もあるんだ!」と言う新しい考えに気づくことが「学習」である。

 

私は自慢ではないが、勉強が嫌いであった。学校の授業が将来、何の役に立つのか理解できなかった。その考えは今も変わらない!それより、遊びに行った時の失敗した記憶が経験になり、「次は同じ失敗はしないぞ!」と思っている。それは幾つに成っても同じである。今まで出会った事の無い新しい出来事が記憶に残り、その経験が力になり、そして成長して行くものだと思っている。やがて、その色んな経験が「学習してきた知識」に変わり、いろんな出来事を事前に予測出来たり、仮に事が起こってからでも、「学習してきた経験」から難を逃れる事が出来ると信じている。 

 

年が変わって、バタバタして「神戸語り」を書く時間がなかなか持てなかった。 やはり、今年は変革の年に成る予感が増している。ただ心配なのは、やっぱりもっと勉強(学習)しておけばよかったと悔やんでいる。でも、同じ時間は二つとして無いので、日々、新しい経験をさせてもらっている。皆さんも日々あたらしい日であることをお忘れないで、一緒に「学習」して行きましょう。

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