2010年2月24日
(パリ在住 フローリスト FUMIKO MOTOBAYASHI パリより)
パリを代表するアーバンリゾート装置を三つ挙げたら、「美術館」、「公園」、「カフェ」、と答える。 そして順位から言えば、まず「カフェ」を第一に置きたい。 パリをカフェ抜きで想像する事は出来ない。パリのそれは、日本のそれとはひと味もふた味も違う。パリジャンのカフェは居間の延長と言うほうが良く似合う、「一日を始め一日を終える場所、噂をしたり議論する場所、人を眺め、人に眺められる場所。」である。
しかし、昨今の日本の喫茶店の衰退ぶりをどう考えるか・・・。 確かに、地価の高騰による家賃の圧迫、人件費の上昇、そういった経済的側面だけではないもっと深い意味が問題ではないか。 つまり日本人の暮らしぶりの変容、生活に向き合う価値意識の変化にともなう根本的な問題と強く関わっているような気がする。
喫茶店の衰退は「経済的要因」が原因であると思われがちであるが、確かに、ファミリーレストランやファストフード店など、営業内容が喫茶店と競争する店が増えて価格競争を余儀なくされ大型店舗の資本の大きさに太刀打ちできず経営が苦しくなっているのも実情であるが、根本的に、「来客を誘って一杯コーヒーとか、職場を抜け出して一服という余裕が無くなってしまったライフスタイルが本当の原因ではないか。」
戦後のアメリカ文化への盲目的な追随。とりわけ高度成長期から近年に至るまでのアメリカ流のライフスタイルをマネしょとする風潮のしらしむところではなかったか。 現在でも若者の生活文化の形成に影響を与えていると感じる。 アメリカ文化の象徴が、効率重視のファストフード・ショップの乱立、すなわち「高速化社会」の生活習慣の植え付けであると考える。
しかし、日本人がもともと性急な国民性であったはずはない。 「桜かざして今日も遊びつ」であったはずである。かってこの国にも「余裕」と言うものが生活の根底にあったと論証されている。いわゆる広い意味での民族の血、国民性が最古から流れているはずである。 高速化は日本人の社会行動にも現れてきていると考える。 このまま高速社会を続けていると、本当に取り返しのつかない国に成る気がしてならない。
昔の街並みには決まって喫茶店が店を構えていた、店の近くで生活している人々が、朝にはモーニングセットと朝刊、昼には日替わりランチセット、三時には一服、仕事が終わればビールを一杯、そんな空間が「昭和の喫茶店」である。 私も子供ながら、そんな大人の時間の使い方に憧れを抱いていた。また、当時の喫茶店に顔が効く大人の人に憧れた。 今思うと昭和の時代にはパリのカフェにも似た生活習慣がいたるところにあり、そこには「余裕」の時間、無為の時間を楽しめる人達が存在した。 その店は決してアメリカ文化の店ではなかったはずである。
「昭和の喫茶店」を懐かしいと感じている人達は多いと思うが、まだ懐かしいとか思える人は幸運ではないか。なぜなら、そんな喫茶店を平成の時代に生まれた若者達は知らない人もいるに違いない。その若者達がまさにいま、ファストフード文化を脱却してパリやイタリヤにあるカフェの様な生活一体型のオシャレなライフスタイルをどうしたら実現するか模索しているではないか。ちょっと前には決してオシャレな内装ではないかも知れないが、でも確かに生活の中心がそんな店であった大人の人が神戸には沢山いたことを、そんな時代があった事を思い出して、次の世代に伝えて言って欲しい、「昭和の時代には、あまりオシャレではなかったが、パリジャンにも似たライフスタイルをおくっていた大人がいた事を。」
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