コウベガタリ - 神戸語り -

『~効率の悪い方を選んだ方が面白い~』

2010年3月15日

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(なつかしの神戸より)

 

新しいものと出合ったとき、「どれどれ?なんで?」と思える力が大切である。哲学と言う言葉は一見難しそうに思えるが、思うより全然難しいことではない。 自分の頭で考えると言う事が、哲学である。 あらゆる学問は、すべて哲学しているのである。 だから、サラリーマンにはサラリーマンの哲学、自営業には自営業の哲学、主婦には主婦の哲学、フリーターにはフリーターの哲学、犬には犬の哲学があってそれぞれがの考えが異なっているのが当然である。

 

新しい事柄に出合った時、「なるほど、面白い!」と思えるか。人と話を聞いていても、「そのアイデア、面白いね!」と、人のアイデアはけなさない。 決して「面白いもの」を探す事ではない。 「面白さ」を見つける事が大切なのである。 「探す」と「見つける」とは、なんとなく似ていると思いがちだが、実はまったく違う。 「探す」は言い換えると「感じようとする」、「見つける」は「感じてしまう」、「探す」は「同じ考え方の人を探す」、「見つける」は「違う考え方を見つけてしまった」と言う受身の準備がまったく違うので、それまでの心の準備が大切であると考える。

 

今まで、見たことも、聞いたことも、考えたことも無いようなムチャクチャな考え方の人に出会ったら幸運である。 「この人は、ムチャクチャだな!」と思いながら、いずれ、そのムチャクチャさが、快感に変わるかもしれない。 ムチャクチャさは、効率の悪いことを指すことが多いが、効率が良い方と悪い方があったら、わざと効率の悪い方へ行ったほうが面白い。 人生は、結局、回り道した量が決めてになるのである。

 

効率の悪い方を選ぶことは、決して答えを出す喜びではなく、考える喜びなのである。 仮に、答えが見つからないものに挑戦して、考えて考えて、答えが見つからなくても良いと思う、その結果、変なところにたどり着いても良いのである。 目的地も無限にあれば、そのにたどり着く道も無限にある。自分の考えた道順で迷ってしまったなら大丈夫であるが、地図を渡されて(人が教えてくれた道)で、目的地に早く着いたとしても、ぜんぜん面白く無いはずである。 人生の最大の興は無駄であると考える、お金の無駄遣いではなく、考える時間の意味のある時間の無駄使いをお進めする。

 

私は最近、時間が欲しいと思うようになった。 人と話す時間、本を読む時間、趣味に使う時間、・・・・。 時間がこれほど大切なものなのか、ようやく理解し始めた。 以前は、時間なんていくらでもあると思っていたし、「出来るだけ効率良く物事をこなす事を良し」といろんな人から教えられた。しかし、遠回りしてきた人の考え方に魅了される事が多い、そんなムチャクチャな人は決して答えを教えてくれないが、迷いかたを教えてくれてくれる。 でも迷ってたどり着いた所は、もしかしたら次元の違う場所で、大勢の人達がその場所にたどり着きたいと願っている場所かもしれない。

 

 

 

 

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