2011年1月17日
あの運命をかえた朝から今日で16年がたってしまった。今朝にも負けくらい寒い朝だった。 1月17日早朝、阪神淡路に強い揺れの地震が起こり大勢の人が死傷にあい、街は壊滅的は被害にあった。私自身も、二軒の家が倒壊して家族を連れて公園で避難した。その日の出来事は今でも鮮明に覚えている。
私達の大先輩の「神戸っ子」のおじいちゃんやおばあちゃんは、「神戸大空襲」の日の出来事を次世代の「神戸っ子」たちに伝え聞かせてくれた。奇しくも「神戸大空襲」の日も「1月17日」に似た寒い日であったと先輩の「神戸っ子」から伝えられ覚えている。
これから何年、何十年・・・と経とうと傷跡は消えない、あの日この街神戸で何が起きたのかを、私達が次の「神戸っ子」達に伝えていかなければと思う。
今年も東遊園地には行かなかったけれど、今年も竹下恵子さんの「詩」の会には行けなかったけれど、今こうして、写真を見て1月17日が普通に過ぎていくことの幸せを感じてしまう。
「大空襲」を語り伝えることと、「大震災」を伝えることは、同じ惨状を語ることでも種類が違うと思う。なぜなら、日本という国も他国に惨状を作ったから。
だけれども、今、「知らない」世代が「知らない」とだけ当たり前のように言うほど時間がすぎたのなら、若い世代に震災を語り伝えることはとても意味があると思う。まちの痛み、人の痛みに対して想像力がある人がたくさん登場してほしいから。(それは、年齢ではないけどね)
確かに、「大空襲」と「大震災」を同じと書いたのは軽率であった。リアルタイムで経験された方が伝え聞かせて行くのが大事だと思う、その上で聞かれた方がどう思い、どう向き合って行くかが大事だと思う。色んな惨事の最中では、大半の方がいま何が起こっているのかわからないと思う。それが後に教育や情報などで一つの答え(考え方)にたどり着くのではないか。だから本当にリアルタイムで経験された方の話しが一番重要だと思う。