2011年1月12日
(なつかしの神戸より)
最近よく、俗に言う「バブル時代」の話をよく聞かれる。1980年代後半に全国民が狂気乱舞した時代、昔の歌じゃないが「バブルを知らない子供たち」が成人し社会に出て会社で若手から中堅クラスの仕事を担う様になってきているが、その人達の中には生まれてこの方景気の良い時代を知らなく、それこそ「好景気を知らないで育った子供たち」と言うわけである。そんな彼らに「景気がどうしたら良くなるか考えてみろ」と言う方が問題があるのではないか。
今まで経験した事の無い問題を考えろと言うのはとかく無理な話で、これは、逆にバブルもしくは高景気の時代に自分では気が付いていないうちに生きていた幸運を今の世代の人に昔話を自慢げに聞かせているようで失笑してしまう。
私は今の時代は別に「不景気」だとは思わない。誤解しては困るが、ボンマリアージュだけが忙しくしていると言うわけでは決して無い。「今の景気がこんなもんで、横ばい状態が続いている」と考えるのが妥当ではないか。だだ、その横ばい状態の中に上がり下がりがあり、一昔も二昔も前の世代が言う昔話をイメージする方が問題である。これから、日本全体が浮上するような事はまず考えられない、ごく一部の会社や個人だけが好景気の階段を上って行くだろう。
わが街神戸の運命の転換期はやはり「1.17」であろう。あの朝の一瞬の出来事ですべてが変わってしまった。あの時まだ日本が不景気ブームになる前で、神戸だけが壊滅状態に成ってこれからどうしたら良いのか、どう生活を立て直したら良いのか分からずに肩を落としたのを私も覚えている。これに似た状況が、日本全体に広がっていて、これからの仕事や生活を考えたら・・・。と落胆している人が多いが、「1・17」から現在まで神戸っ子は誰もが前を向いて歩いて歩き続けている。いま食べるの物が無い状態から始めて立派に生活を立て直している方もいるはずで、逆にあの日のダメージでなかなか立ち上がれない方もいるはずである。
神戸っ子の経済的な建て直し挑戦はあの震災の日から続いていて、今の日本の不況ブームなど笑って言ってやれば良い、「あの日の朝に比べれば大した事ないよ!」、「言っている事が分からないなら、君は「神戸っ子」じゃないんだね!」、「だって、君は震災を知らない子供達だから。」
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